『一口のパン』 Sousto
1960 年 / 11 分 / モノクロ
監督:ヤン・ニェメツ
脚本:ヤン・ニェメツ、アルノシュト・ルスティク
撮影:イジー・シャーマル
編集:ヨゼフ・ドブジホフスキー
出演:ヤン・バルトゥーシェク、オルドリッヒ・ブラーハ、イヴァン・レンチ
チェコ・ヌーヴェルヴァーグの主要人物の一人、ヤン・ニェメツ監督の卒業制作映画。ホロコーストを生き延びたチェコの小説家、アルノシュト・ルスティクの短編小説を基とする。強制収容所へ向かう途中、脱走を企てる囚人3人が、まず一斤のパンを盗むことを決意するが…。史上もっとも最小規模かつ、痛切な強盗映画であり、世界最高の学生映画の一本。
『夜のダイヤモンド』 Démanty noci
1964 年 / 67 分 / モノクロ
監督・脚本:ヤン・ニェメツ
原作・脚本:アルノシュト・ルスティク
撮影:ヤロスラフ・クチェラ
編集:ミロスラフ・ハーイェク
出演:ラジスラフ・ヤンスキー、アントニーン・クンベラ
強制収容所へと向かう貨物列車から脱走した少年二人。疲れきった体でプラハへと向かう二人だが、途中で自警団とおぼしき老人集団に捕まってしまい...。
マンハイム=ハイデルベルク国際映画祭でグランプリを受賞。チェコスロバキア・ヌーヴェルヴァーグの映画として初めて国際的に評価された作品のひとつとなった。ホロコーストを生き延びたチェコの小説家、アルノシュト・ルスティク の短編『闇に影はない』を脚色した本作は、当時としては珍しく、強烈に主観的な視点で戦争というテーマをとらえている。<死の輸送>から逃亡し、ズデーテン地方の森で苦しむ逃亡者たちの体験に彼らの記憶、夢、想像が入り込み、苦しみに直面する人間の魂の探求を実存的ドラマの領域にまで広げている。
『第五の騎士は恐怖』 A pátý jezdec je Starch
1965 年 / 98 分 / モノクロ
監督:ズビニェク・ブリニフ
原作:ハナ・ベロハドスカ
脚本:ハナ・ベロハドスカ、ズビネク・ブリニッチ
撮影:ヤン・カリシュ
編集:ミロスロフ・ハジェク
音楽:イジー・シュテルンヴァルト
出演:ミロスラフ・マカセック、オルガ・シャインプフルゴヴァー、イジー・アダムィラ
ヒトラーの右腕とも言われ、チェコの統治者でホロコースト計画を推し進めていたハイドリヒによる恐怖政治下で、自らの道徳的義務を果たそうとする主人公──非人間的な時代に、人間性についての自分の考えを実現しようと試みるブラウン医師の姿を描き出す。だが、あらゆる形の恐怖が、彼を助けうる人々、同じ集合住宅に住む隣人たちを歪めていく。ハナ・ベロハドスカの小説に触発された本作は、絶望的な状況に陥った登場人物たちや、繊細なモノクロの映像美という点で、彼の前作『Transport z ráje』(楽園からの移送)と共通している。ブラウン医師を演じるのは、反共産主義者として生涯にわたり活動を妨害されながら舞台に出演、演出を手掛け続けたチェコを代表する演劇人、ミロスラ
フ・マカセック。
『火葬人』 Spalovač mrtvol
1968 年 / 100 分 / モノクロ
監督:ユライ・ヘルツ
原作・脚本:ラジスラフ・フクス
音楽:ズデニェク・リシュカ
撮影:スタニスラフ・ミロタ
編集:ヤロミール・ヤナーチェク
出演:ルドルフ・フルシーンスキー、ヴラスタ・フラモストヴァー、ヤナ・ステフノヴァー、ミロシュ・ヴォグニチュ、イジー・メンツェル
1930 年代のチェコを舞台に、「ヒッチコックのグロテスクな作品を彷彿とさせる心理ホラー」の要素をほのかに感じさせる、ナチスの影響を強く受けるようになる小市民を描いた傑作。普通の男性がきわめて人間的な怪物へと変貌していく様子は、イデオロギーの影響により人間がどれほど自分の暗い側面をあらわにしてしまうかを明らかにしている。本作の魅力に大きく貢献するのは主人公のコップフルキングルを演じたルドルフ・フルシーンスキーと妻役のヴラスタ・フラモストヴァー。映画の完成後、撮影監督のスタニスラフ・ミロタは国外追放となり、本作が最後のチェコ映画となった。長らく上映が禁止されていたものの、1990年 8 月におこなわれた上映会「Filmy z trezoru(金庫から出てきた映画)」で復活。
=プロフィール=プレス資料より
◆ヤン・ニェメツ(1936-2016) Jan Němec
プラハ出身。母親は地区の眼科医で、父親は電気技師だった。もともとは音楽に傾倒し、幼少期からピアノとクラリネットを演奏。学生時代、音楽と映画学のどちらを専攻するか迷ったのち、最終的に映画を選んだという。1954 年から 1960 年まで FAMU(プラハ芸術アカデミー映像学部)の映画監督学科に在籍し、卒業制作として『一口のパン』を監督。撮影助手や助監督の経験を経て、1964 年の長編デビュー作『夜のダイヤモンド』で国際的な評価を得る。その抽象的かつグロテスクな美術には当時の妻、エステル・クルンバホヴァー(『ひなぎく』の脚本、美術、衣装、『闇のバイブル/聖少女の詩』の脚本)も大きく貢献した。1966年には『O slavnosti a hostech』(意:祝宴とゲスト)を発表するが、社会主義体制を寓話化したとして上映禁止、プラハの春期間中に短期間公開されたものの、20 年間にわたり再び上映禁止となった。1968 年、プラハの春に関するドキュメンタリーを撮影中、ソ連によるチェコスロバキア侵攻が発生。ニェメツは侵攻の映像を密かにウィーンに持ち出した。この映像は後に数多くの国際ニュース機関によって侵攻の映像として使用されることになり、フィリップ・カウフマンの『存在の耐えられない軽さ』(1988)でも使われている。1974 年、ニェメツは国外退去を余儀なくされ、1989 年までドイツ、パリ、オランダ、スウェーデン、アメリカ合衆国など居住。1989 年に共産主義が崩壊した後チェコに戻り、『Jmeno kodu: Rubin』(意:コードネームルビー、1997)や 2001 年ロカルノ国際映画祭ビデオ映画部門金豹賞を受賞した『Nocní hovory smatkou』(意:母との夜の電話、2000)などを監督。1998 年には母校である FAMU の教授に就任した。遺作はコメディ『Vlk z Královských Vinohrad』(意:ロイヤル・ヴィノフラド通りの狼、2016)。最後のシーン撮影を目前に控えた数日前に逝去し、助監督トマーシュ・クラインによって完成された。
◆ズビニェク・ブリニフ(1927-1995)
高校卒業後、映画学校には通わず職を転々とする。1946 年、アントニン・ドヴォルザークの生涯を描いた脚本本コンテストに入賞。プラハの映画スタジオに入社し 1950 年代は助監督としてキャリアを積む。1958年、初の長編作品『Zizkovská romance』(意:ジシュコフのロマンス)を監督、カンヌ国際映画祭にも出品した。1960 年代にかけて政治的なテーマに焦点をあて、アルノシュト・ルスティクの短編小説を映像化した大戦下の強制収容所の物語『Transport z ráje』(意:楽園からの移送、1962)、ハナ・ベロハドスカの短編小説の映像化であり、黙示録の四騎士(戦争、飢饉、死、疫病)に触発された、『第五の騎士は恐怖』、実は死んでいなかったヒトラーの治療のために拉致されたチェコ人医師が体験する恐怖を描く SF『Já,spravedlnost 』(意:私は正義、原作:ミロスラフ・ハヌス、1968)などナチス・ドイツを題材にした作品を手がけ高い評価を得た。『Transport z ráje』に助監督として参加したユライ・ヘルツは、のちにブリニフについて「自らの構想を支えている意味深く独特な表現へと俳優を導く、非常に優れた感覚を持っている」と語った。1968 年以降は西ドイツを中心に活動し、『O Happy Day』 (1970)、『Engel, die ihre Flügel verbrennen』(意:翼を焼く天使たち、1970)、『Die Weibchen』(意:雌たち、1970)の三本の長編映画を監督、テレビ映画を六本製作。1970 年代にチェコスロバキアに戻り、恋愛映画、政治ドラマ、探偵ドラマなどジャンル様々な長編映画を発表、晩年はテレビシリーズを製作した。1995 年、プラハで死去。
◆ユライ・ヘルツ(1934-2018)
ケジュマルク出身。ユダヤ人の家庭に生まれ、子供時代の一部を強制収容所で過ごした。1950 年から1954 年まで高等美術工芸学校で写真を学び、1958 年には DAMU(プラハ芸術アカデミー演劇学部)で演技を専攻し、演出も学んだ。同級生にはヤン・シュヴァンクマイエルがいる。映画界では端役としてキャリアをスタートし、助監督の経験を経た後、初の長編映『Znamení raka』(意:蟹座、1967)を監督。主に文学作品を映画化した『火葬人』(原作:ラジスラフ・フクス、1968)、『Sladké hry minulého léta』(意:去年の夏の甘いゲーム、原作:モーパッサン、1970)、Petrolejové lampy』(意:石油のランプ、原作:ヤロスラフ・ハシェク)(1971)、『モルギアナ』(原作:アレクサンドル・グリーン、1972)などで高い評価を得る。『火葬人』は1972 年にはシッチェス映画祭で最優秀作品賞を受賞したが、公開後すぐに共産主義の検閲により上映禁止となり、1989 年のビロード革命後まで国内で上映されることはなかった。しかし国際的には広く称賛されカルト的な地位を確立した。自身のホロコースト体験をもとにした作品や、『美女と野獣』(1978)、『ナインス・ハート』(1979)、『高速ヴァンパイア』(1982)など、ダークファンタジーやホラーといったジャンル映画も多々手がけた。1987 年、当時の妻である女優テレザ・ポコルナ=ヘルツォヴァーとともに西ドイツに移住。ベルリンの壁崩壊後にチェコに戻り、テレビ映画やドラマシリーズのほか、演劇の演出も手がけた。
2000 年代も活動を続け、2009 年には超常現象スリラー『T.M.A.』(2009)、2010 年には第二次世界大戦後、チェコスロバキアから 300 万人のドイツ系移民が追放された事件を描いた『ハーバーマン 誇り高き男』を発表。2018 年、プラハで死去。
チェコ映画傑作選
公式サイト https://czechfilms.jp/
https://x.com/czechfilmsjp
★4月10日(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷ほか順次公開中
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