=2022年公開映画・配信から2作品=ふるあめりかに袖はぬらさじ
(7/9-7/29 歌舞伎オンデマンド)
トップガン マーヴェリック
※過去の東京国際映画祭で観た佳品『大仏+』『グレイン』『83歳のやさしいスパイ』は選外
=第35回東京国際映画祭から8作品=へその緒
第三次世界大戦
フェアリーテイル
少女は卒業しない
生きる LIVING
イニシェリン島の精霊
モリコーネ 映画が恋した音楽家
クロンダイク
※順不同
=選んだ理由とコロナ禍の芸術鑑賞=以前は舞台と新作映画を同じぐらいの比率で観ていましたが、コロナ禍で状況が一変しました。
きっかけは最初のパンデミック下の映像配信でした。ベルリン・フィルは膨大なデジタルアーカイブをいち早く開放、パリ・オペラ座は大胆な(オペラ座の怪人はこんなふうに自在な視点で観るのかなと思わせるような)カメラワークのバレエを、アンドリュー・ロイド・ウェバーは自身が作曲したミュージカルを、他にも多くの劇場が旧作や無観客収録の貴重なステージを公開しました。
その感想を仲間と熱心にやりとりする内に、宣伝を目的とした新作の試写より自分の関心に沿う映像を観る時間が増えました。
また劇場再開からほどなくして観た歌舞伎やオペラの客席の、異様な静けさと緊張感、引き締まったステージへの熱い拍手は感動的でした。ウィーン・フィルは楽団員の行動に漫画レベルの制限を設け採算は度外視、オーストリア首相が親書で来日を申し入れて公演が実現しました。
映画祭のフィジカル開催も大変喜ばしいことでしたが、非常時を生きる自分の心に響いたのは圧倒的に前者でした。
コロナ禍で芸術は「不要不急か」と存在価値をずいぶん問われました。
古典を例に取ると分かりやすいのですが、演者は「これでいい」と考察を止めることなく作品や役を追究して再演を重ねます。それは私が日常生活で未知の何か(歴史も新型コロナもその一つ)を学ぶ態度の手本になります。そして演者の成果は上演を観続けなければ分かりません。
2022年は劇場と配信の両方で同じ舞台を観る機会に恵まれました。中でも有吉佐和子原作『ふるあめりかに袖はぬらさじ』(坂東玉三郎主演、歌舞伎座)は私の観劇史上ベスト10に入る作品です。
時代は開国か攘夷で激しく争っていた幕末、横浜の遊郭。呑んべえでお喋りな三味線芸者のお園が世話を焼く若い花魁に悲劇が起こり、お園は客を楽しませるため彼女の最期を騙る羽目になります。やがてその嘘はお園が思ってもみない形で人のエゴや世の闇を露わにします。
悲しい生活を送らざるを得なかった弱い立場の女性たちが話の軸でありながら、芝居は喜劇仕立てで遊郭の人間模様が煌めきます。
お園役を杉村春子から受け継いだ玉三郎が、新派の女優たちを率いて三味線を弾く無類の格好良さ。芝居を知り尽くした作者の見事な構成。上演が急きょ決まり新派との合同公演になったこと、至芸が映像で配信されたこと…あらゆることが奇跡のようです。
芸術の枠を超えて印象深かった映像はエリザベス女王の国葬中継(Sky News、約9時間)です。国葬後の圧巻の葬列行進、柩がウインザー城へ向かう「最後の旅」の色彩・音楽・演出はもちろん、王室と国民との距離の近さ、抑制のきいた報道らしい撮り方に驚きました。
テニスのロジャー・フェデラーの引退試合となったエキシビションマッチ、レーバーカップの深夜中継も忘れがたいです。
私はテニス観戦が好きですが、2022年洋画興行収入1位の『トップガン マーヴェリック』は、テニスの名勝負をライブで観て世界中のテニスファンと興奮を共有するのに似た面白さがありました。
登場する敵は米海軍の骨董機をなぜか温存していたファンタスティックな濃い灰色の集団で「敵」としか呼ばれません(現在もF-14を運用している点はイラン空軍のイメージを重ねているかも)。このように愉快なクリエーションに現実の世界情勢を持ち込んで作品を批判するのは虚しく感じます。
1986年公開の『トップガン』冒頭で、米海軍がトップ1%のパイロットのためにエリート学校を設立した目的は「失われつつある空中戦の技術訓練」だと説明しています。
この時すでに『トップガン』は滅びゆくものへ眼差しを向けていました。劇中歌の「ふられた気持ち」「火の玉ロック」も奏功して、現在の設定なのに昔懐かしい味わいのある不思議な映画でした。
それから36年を経て主人公も主演もコンセプトも変えず続編を世に出すことは、マーヴェリックが成し遂げたミッションと同じように限界を超える挑戦だったと思います。
画像:「日比谷シネマフェスティバル2022〜キネマ旬報の表紙で振り返る〜あの映画の“熱狂”を再び!」展示パネルの一部